F3:トヨタ・ヤング・ドライバーズ・プログラム・レポート "TDP国本京佑、初参戦でマカオを制し「F3世界一」に "
2008年11月17日
トヨタ自動車(株)
モータースポーツ推進室
マカオGP(F3) レポート
TDP国本京佑、初参戦でマカオを制し「F3世界一」に
11月13日(木)からの4日間に渡り、中国特別区マカオの市街地コース、ギア・サーキットにて第55回マカオグランプリが開催された。今年もヨーロッパの強豪チームから気鋭のF3ドライバーが参戦、日本からは、TOM'Sがカルロ・ヴァン・ダム、TDP(トヨタ・ヤング・ドライバーズ・プログラム)の国本京佑を擁して参戦。また、ナウ・モータースポーツからTDPケイ・コッツォリーノが初参戦。また、嵯峨宏紀(ル・ボーセ)も参戦した。そして昨年マカオグランプリ3位表彰台を獲得したTDP大嶋和也が、所属するマノーチームより3度目の参戦を果たした。
マカオグランプリ初日13日(木)は、F3ユーロシリーズに参戦したモルタラが、午前のプラクティスに続き予選一回目もトップタイムを記録し好調をアピール。TOM'Sのヴァン・ダムがこれを追う展開となった。初参戦組は、世界屈指の難コースであるギア・サーキットの慣熟走行が主となった。
大会二日目14日(金)は、午前のプラクティスを経て、予選二回目が行われ、白熱したタイムアタックが繰り広げられた。40分間のセッションの終盤、たびたびのクラッシュで荒れた予選を残り5分からTOM'S勢が追い上げ、ヴァン・ダム、国本のワンツーとフロントローを獲得した。
大会三日目15日(土)は、予選レース(10周)が行われた。ポールポジションからスタートのヴァン・ダムがスタートをミスし3番手に後退、トップを奪ったのは国本、それにモルタラ、ヴァン・ダムの順でマンダリンへ。ヴァン・ダムがマンダリンのダスティーな路面に足元をすくわれ、ウォールにヒット。この時点でチャンスを失った。国本は、トップに立ったものの山側でのドライビングのミスから、モルタラとのギャップが縮まり、その後リスボアでパスされ二番手に。しかし後続の猛追を凌ぎ、予選レース2位表彰台を獲得し、決勝レースでもフロントローをキープした。
大会四日目16日(日)は、決勝レース(15周)が行われた。2番手スタートの国本がいきなりトップに躍り出るも、マンダリンでモルタラに前へ出られてしまう。後方で多重クラッシュが発生。セーフティーカーが導入された。3周目でレースが再開すると、国本は、マンダリンでトップを再び奪取する。10番手スタートのコッツォリーノ、24番手スタートのヴァン・ダムは、リスボアでの混乱に乗じ、5番手と9番手へと大幅にジャンプアップ。23番手からスタートの大嶋は、そのリスボアで クラッシュに巻き込まれ、空力パーツを破損し最下位まで転落した。ヴァン・ダムは、5番手までポジションを挽回した8周目の最終コーナーで、クラッシュしたマシンに接触、パーツを破損し操縦不能となりリタイア。4番手までポジションを上げていたコッツォリーノも、12周目に前のマシンとリスボアで接触しクラッシュし、15位でレースを終えた。大嶋は、最後尾から我慢の走りで完走、 16位でチェッカーを受けた。嵯峨は残念ながらリタイアに終わった。
トップを走行していた国本は、落ち着いた走りで最後まで他を引き寄せず、初参戦で見事に優勝を飾り、「F3世界一」の座に立った。国本はマカオGP史上最年少(19歳)での優勝。日本人としては2001年の佐藤琢磨以来二人目、またTDPドライバーとしては初の快挙となる。
※その後、2003年大会のニコラス・ラピエール選手が最年少の19歳7ヶ月15日で優勝しており、国本選手優勝時の19歳10ヶ月9日よりも3ヶ月6日早い年齢での勝利が判明。11月20日、リリースにより訂正された。また、16日のレース後主催者から訂正が出され、ケイ・コッツォリーノがペナルティのため15位から19位に降格、大嶋和也選手の順位が繰り上がり16位から15位となった。
TOM'S ドライバー 国本京佑:
トップに立った時点で絶対に抜かせないと思いながら、最後まで練習のつもりで、平常心で走りました。世界一決定戦のマカオで表彰台、しかもその真ん中に立てるなんて出来すぎだと思います。実感はあまりないですが、優勝することができてここまで支えてくれたみなさんに感謝しています。
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