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2008年12月20日 (土)

2008年トヨタ・モータスポーツ・アニュアルレポート(海外編-1)

12月19日、トヨタは2008年の日本と海外でのモータースポーツに関するアニュアルレポートを発表した。冒頭では今年5月南アフリカでのラリー中に亡くなったオベ・アンダーソン氏への福井 敏雄氏と冨田 務氏らの追悼文が寄せられている。

■オベ・アンダーソンへ捧げる。

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Fukui 福井 敏雄(元TMG副社長)
 10月30日、札幌ドームでのWRCラリージャパンのセレモニアル・スタート直前に、オベの追悼映像が約10分間大型スクリーンに映し出された。
ラリージャパン主催者の特別な配慮によるもので、このイベントにはオベのラリー仲間が世界から集まっていたのだ。
FIA関係者、ラリーチームの仲間、ドライバーたちそれぞれの思いで彼を見送ってくれた。
私もそこに居た。
7月のケルンでの追悼会で使用した映像を再度、もっと多くの人々と分かち合えて心安らぐ思いがした。

 南アフリカのクラシックカー・ラリー中に亡くなったという一報は驚きという以外に表現できないが、ラリー中に指揮車を運転する彼の横顔がまだ目に映る。
 1970年代初期に初めてオベと接触したこと、トヨタ車でラリーをやろうと決めたとき、ベルギーにガレージを用意してあげたとき、チームをドイツに移動させたとき、銀行融資を斡旋したとき、そして当時の豊田章一郎専務に直訴して、石油危機のためモータースポーツ活動を休止するという本社決定を何とか活動継続に持ち込んだとき、TMGを買収したとき、世界ラリー選手権チャンピオンを獲得したとき、すべてはオベとの共同作業であった。
双方ともに引退した今、偉大なパートナーを失った心の空白は大きい。

Tomita 冨田 務(前TMG会長、現富士スピードウェイ(株)取締役会長)
 彼に初めて会ったのは、私がまだ量産エンジンを担当していた時代の1981年であり、我々が日本から欧州に持ち込んだ直列6気筒セリカXXの試験車を、彼はラリードライバーの目で評価してくれた。
場所は、ケルン郊外のラインバッハ山間路。
彼が運転する車に同乗した私は、コーナーのたびに左右にお尻を大きく振って進行方向を変えるドライビングに肝を冷やしたが、彼の運転は信じられないほどに正確で、まるで全身がセンサーのような人だと感じた。
私はヨロヨロと車から降りて、直6搭載ラリー車の可能性を質問したところ、即座に“軽量4気筒が運転しやすい”と答えた。
はっきり言う人だと思ったが、彼は正しかった。

 15年後の1996年、私がモータースポーツ分野を担当したとき、ラリー活動は休止状態にあったが、WRCカローラの復帰を目指してオベと私は最大の努力をした。
その関係でオベと頻繁に会うようになり、さらにその後、彼との二人三脚で1998、1999年のル・マンやF1準備を進めた。
あのころはF1準備が特に大変で、オベ居ずして物事は進まなかった。
1998年の「RACラリー」で、ミシュラン監督のデュパスキエ翁にF1タイヤの件を申し入れたのも、オベと練った作戦だった。
 オベの口癖は、“私はドライバー上がりだから技術のことは分からない。
できることは、予算確保と部下をやる気にさせることだ”。
常にNever give upを合言葉にして先頭を突き進む、優れたリーダーであった。
 2008年6月、趣味とする南アフリカのラリーで突然、命を落とされたが、残念でならない。
彼が永年にわたりトヨタへ貢献してくれたことに感謝するとともに、心からご冥福をお祈りする。

■アメリカにおけるトヨタのモータースポーツ活動
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2008年、アメリカにおけるトヨタのモータースポーツ活動は26年目を迎え、NASCAR 、Grand-Am、USAC、NHRA、CORR、SCCAなど様々なレースで、トヨタ・パワーが数々の勝利をもたらすこととなった。
米国トヨタ販売(Toyota Motor Sales U.S.A., Inc. / TMS)の100%子会社であるTRD U.S.A., Inc.(TRD)は、北米においてトヨタのレースエンジンの設計・開発・製造・組み付けを担うと同時に、NASCARの車両エンジニアリングのサポートなども行い、参戦する全トヨタ・チームに技術的サポートを行っている。

[ 組織 ]
 2008年11月現在の社員数は226名(ノースキャロライナ45名、カルフォルニア181名)。
1998年に就任したジム・オースト社長が2008年6月30日付けで退任し、2008年5月7日の取締役会にてリー・ホワイト上級副社長兼ゼネラルマネージャーを社長に、デイビッド・ウィルソン副社長を上級副社長に、TMSのボブ・カーターとトレイシー・ドイを取締役として選出した。

[ 施設 ]
 2008年8月にTRDはノースカロライナ州サリスバリーのエンジニアリング拠点(TRD Competition Drive)の建設を完了し、9月23日にローワン郡郡議会議員、サリスバリー商工会議所職員などを招き、竣工式を開催した。
この拠点はノースカロライナ州に建設された初のトヨタ施設で、TRDのNASCARエンジニアリング及びオペレーションのサポート拠点として稼動を開始した。
施設内にはシェーカーリグ、プルダウンリグなどのエンジニアリング設備が設置されTRDおよびチームが利用を開始したが、今後も各種設備を設置する予定である。

[ NASCAR ]
<スプリント・カップ・シリーズ> トヨタは3つの「フレッシュマン・チーム」ビル・デイビス・レーシング、マイケル・ウォルトリップ・レーシング、レッドブル・レーシングとともに2007年からNASCARスプリント・カップ・シリーズに参戦を開始したが、2008年にはジョー・ギブズ・レーシング、ホール・オブ・フェイム・レーシングを加え総勢10台のトヨタ・カムリでシーズンをスタートした。

--ビル・デイビス・レーシング(BDR)は、デイブ・ブレイニーがドライバーズ・ポイント30位でシーズンを終えた。
キャタピラー社は2008シーズン限りでBDRとのスポンサー契約を終了することとなった。

--マイケル・ウォルトリップ・レーシング(MWR)はマイケル・ウォルトリップ、デイビッド・ロイティマン、マルクス・アンブローズで参戦し、それぞれドライバーズ・ポイント29位、22位、36位でシーズンを終えた。
デイビッド・ロイティマンは幾度かトップ10入りを果たし、2008シーズンのハイライトとしてシーズン最終戦ホームステッドでポールポジションを獲得した。

--レッドブル・レーシング(RBR)のブライアン・ヴィッカーズとA.J.アルメンディンガーは2007年よりも大幅に成績を上げ、ミシガンでポールポジションを獲得したブライアン・ヴィッカーズはドライバーズ・ポイント19位でシーズンを終えることとなった。
スコット・スピードはシーズン最後の5戦をA.J.アルメンディンガーに代わって出場し、2009年はRBRからルーキーとしてフル出場することになる。

--ホール・オブ・フェイム・レーシングはジョー・ギブズ・レーシング(JGR)のカスタマーチームだが、ドライバーをJ.J.イエリー、ブラッド・コールマン、ケニー・シュレイダーと変えながらシーズンを戦った。
--JGRのカイル・ブッシュは2008年3月9日に開催された第4戦アトランタで優勝を果たし、シーズン早々にトヨタに初勝利をもたらした。
その後カイルは更に7勝およびポールポジションを2回獲得しチェイス進出を果たすものの、チェイスでは苦戦しドライバーズ・ポイント10位でシーズンを終えた。
デニー・ハムリンは春のマーティンズビルのレースで優勝し、ポールポジションも1回獲得し、チェイス進出を果たしドライバーズ・ポイント8位でシーズンを終えた。
トニー・スチュワートは、秋のタラデガでのレースで優勝し、チェイスに進出しドライバーズ・ポイント9位で終えたが、2008年を最後にJGRからの移籍を発表した。
2008年に18歳になったばかりのジョーイ・ロガーノが2009年はルーキーとしてNo.20ホーム・デポ・トヨタ・カムリで出場予定である。

 2008シーズンはJGRがとても力強いスタートを切り、トヨタはマニュファクチャラーズ・チャンピオンシップでリードをしたが、終盤のチェイスで足踏みし、トヨタはマニュファクチャラーズ・チャンピオンシップ3位でシーズンを終えることとなった。
JGRがトヨタの初勝利の旗を掲げることになったが、RBR、MWRともに一貫したパフォーマンスを発揮し大きな進歩を見せた。
いずれかもしくは両方のチームが2009年に初勝利を挙げることになるはずだ。
ビル・デイビスとホール・オブ・フェイム・レーシングの今後の予定はまだ定かではないが、他のトヨタ・チームは2009年も出場する予定である。
<ネイションワイド・シリーズ> ネイションワイド・シリーズには4チームが参戦。
JGRはNo.18とNo.20(複数ドライバー)、ブラウン・レーシングはNo.38のジェイソン・リフラーとNo.32(複数ドライバー)、MWRはNo.99のデイビッド・ロイティマン、ジャーメイン・レーシングはNo.7のマイク・ワラスが参戦した。
トヨタ・チームは36レース中20レースで優勝し、そのうちの19勝をJGRが挙げている。
カイル・ブッシュの10勝(JGRで9勝、ブラウンで1勝)は、1シーズンの優勝記録とタイ記録であった。
他にトニー・スチュワートが5勝、デニー・ハムリンが4勝、ジョーイ・ロガーノが1勝を挙げたが、全選手がJGRのドライバーである。

 トヨタはネイションワイド・シリーズ参戦2年目にしてマニュファクチャラーズ・タイトルを獲得すると同時に、JGRはNo.20でオーナーズ・タイトルを獲得した。
カイル・ブッシュはフル参戦ではなかったにもかかわらず、トヨタ勢最高のドライバーズ・ポイント6位でシーズンを終えた。

<クラフツマン・トラック・シリーズ>
 クラフツマン・トラック・シリーズではトヨタが3年連続のマニュファクチャラーズ・タイトルを獲得した。
スリリングな接戦の末にシーズン最終戦ホームステッドの最終ラップで、ビル・デイビス・レーシングのジョニー・ベンソンがドライバーズ・タイトルを奪回した。
ベンソンは5勝を果たし、チャンピオンシップ3位のトッド・ボダインが3勝、カイル・ブッシュも3勝し、マイク・スキナーとスコット・スピードがそれぞれ1勝するなど、トヨタ・タンドラは、合計13勝と10回のポールポジションを挙げることとなった。

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<グランダム・シリーズ>
 レクサスエンジンを搭載したチップ・ガナッシ・レーシングは「ロレックス・デイトナ24時間耐久レース」で優勝し、史上初の3年連続優勝の偉業を成し遂げた。
チップ・ガナッシ・レーシングはタイ記録となる6勝を挙げチーム・チャンピオンシップを獲得、ドライバーのスコット・プルエットとコ・ドライバーのメモ・ロハスはドライバー・チャンピオンシップを獲得、レクサスはマニュファクチャラーズ・チャンピオンシップ3位でシーズンを終えた。

<オフロード・レース>
 2008年、トヨタはチャンピオンシップ・オフロード・レーシング(CORR)参戦11シーズン目を迎えた。
トヨタ・ドライバーのリック・ヒューズマンとジョニーグレーブスが、トヨタ・タンドラでPro-4シリーズを3勝し、ヒューズマンがドライバーズ・チャンピオンシップ2位となった。
ジェフ・キンカードはトヨタ・タコマでPro-Liteシリーズを4勝し、ドライバーズ・チャンピオンシップ2位となった。

<USACシリーズ>
 2008年、USACミジェット・シリーズ参戦3年目を迎え、トヨタ・チームはナショナル・ミジェット・シリーズとウェスタン・ステーツ(地方シリーズ)に出場した。
デイブ・ダーランドとコディー・スワンソンがそれぞれナショナル・シリーズで1勝を果たし、ウエスタン・ステーツ・シリーズではトヨタが7勝を挙げ、4勝を挙げたニック・ファースがトヨタ初のウエスタン・ステーツ・ドライバーズ・タイトルを獲得した。
 2008年、トヨタはUSACシルバー・クラウンとウェスタン・スプリントカー・シリーズに初参戦。
トヨタはシルバー・クラウンで2勝し、RWモータースがUSACシルバークラウン・チーム・タイトルを、ドライバーのジェリー・クーンズがトヨタ初のUSACシルバー・クラウン・ドライバーズ・タイトルを獲得した。

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