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2012年4月 7日 (土)

Special:フェルディナンド・アレクサンダー・ポルシェが死去 (ポルシェ)

プレスインフォメーション 2012年4月06日

ポルシェAGは偉大なデザイナーの死を悼む

Ferdinand Alexander Porsche (C)Porsche Japan KK. 拡大します

ポルシェAG(本社:ドイツ、シュトゥットガルト 社長:マティアス・ミューラー)は、フェルディナンド・アレクサンダー・ポルシェの死去の知らせを受け、深い悲しみに包まれています。2012年4月5日、監査役会名誉会長F.A.ポルシェはザルツブルクにて死去しました。享年76才でした。

ポルシェAGの社長兼CEOマティアス・ミューラーは、スポーツカーメーカー、ポルシェに対するフェルディナンド・アレクサンダー・ポルシェの多大な貢献に感謝の意を表し、次のように述べています。「私達は、フェルディナンド・アレクサンダー・ポルシェの死を深く悲しんでおります。彼がポルシェ911を生み出したことで確立された当社のデザイン文化は、今日に至るまでポルシェのスポーツカーに受け継がれています。優れたデザインに関する彼のフィロソフィーは、ポルシェにとっての大きな遺産であり、私達はこれを永遠に尊重していくつもりです」。

フェルディナンド・アレクサンダー・ポルシェは、1935年12月11日、シュトゥットガルトにおいてフェリー・ポルシェとドロテア・ポルシェ夫人との間に長男として誕生しました。すでに子供の頃から祖父フェルディナンド・ポルシェの設計事務所や工場で多くの時間を過ごし、自動車に囲まれた生活を送りました。1943年、会社のオーストリアへの移転に伴い、家族もオーストリアに移住し、F.A.ポルシェはツェル・アム・ゼーの学校に通うことになります。1950年にシュトゥットガルトに戻ると、私立のヴァルドルフスクールに入学し、卒業後は名門、ウルム造形大学に進学します。

1958年、F.A.ポルシェは、慣れ親しんだポルシェKG(当時の社名)の設計事務所で働くことになりました。彼は356シリーズの後継モデルについて最初のクレイモデルを製作し、すぐに偉大なデザインの才能を証明することになります。1962年にはポルシェのデザインスタジオの責任者となり、その翌年、ポルシェ901(すなわち911)によって世界中にセンセーションを巻き起こします。F.A.ポルシェが作り出したスポーツカー、ポルシェ911は時代を超えたクラシックなフォルムによって今日に至るまで生き続け、現在では7世代目となっています。ロードカーだけでなく、F.A.ポルシェは1960年代のレーシングカーのデザインにも大きな影響を与えました。彼のデザインによる有名なマシンとしては、F1フォーミュラーカーのタイプ804や、史上最も美しいレーシングカーのひとつと見なされているポルシェ904カレラGTSなどがあります。

ポルシェジャパンKK.・プレスリリース

1971~72年にポルシェKGが株式会社に移行したのに伴い、フェルディナンド・アレクサンダー・ポルシェは他の家族全員と同様、業務の第一線から退きました。1972年、F.A.ポルシェはシュトゥットガルトに「ポルシェ デザインスタジオ」を設立し、1974年に本社をオーストリアのツェル・アム・ゼーに移しました。その後数十年にわたり、時計、眼鏡、筆記用具などのクラシックなメンズ用アクセサリーのデザインに携わり、それらは「ポルシェデザイン」というブランドのもとで世界的に認められてきました。

同時に、「Design by F.A.ポルシェ」というブランドのもとで、チームとともに、有名な国際的企業を相手に多数の工業製品や家庭用品、そして消費財のデザインを手がけました。現在に至るまで彼のデザインスタジオで作られているすべての製品のデザインは、強烈で明快なデザインコンセプトが貫かれています。F.A.ポルシェのデザインに関する信条は、「デザインは機能的でなければならず、機能性は視覚的に美しい形を取らなければならない。説明しないとわからないような冗談は不要だ」というものでした。「一貫性を持ってデザインされた製品には飾りは不要であり、そのフォルムだけで製品は高められなければならない」と、F.A.ポルシェは述べています。デザインの見た目はひと目で理解可能でなければならず、製品やその機能から注意をそらすものであってはならないのです。「良いデザインは率直であるべきだ」というのが彼の信念でした。

フェルディナンド・アレクサンダー・ポルシェは、デザイナーとしての業績全体によって、また個別のデザインによって、多くの栄誉と賞を獲得しました。例えば1968年にはポルシェ911の卓越した美しいデザインによって「国際プロモーション&プレステージ委員会」から表彰され、1992年にはインダストリー・フォーラム・デザイン・ハノーバー(iF)によって年間受賞者に選ばれました。1999年にはオーストリア大統領から教授の称号を贈呈されました。

フェルディナンド・アレクサンダー・ポルシェはパートナーとして、また監査役会のメンバーとして、ポルシェAGと生涯にわたり密接な関係を維持しました。例えば、業務の第一線から退いた後も、F.A.ポルシェは数十年にわたりポルシェのスポーツカーのデザインに貢献し、また何度も会社を正しい方向へと導きました。特に1990年代初頭にポルシェが経験した困難な時期には大きな役割を果たし、1990~1993年には監査役会会長としてポルシェA.Gの経営建て直しに大きく貢献しました。2005年、監査役会での職務を息子オリバーに譲り、監査役会名誉会長となっていました。

フェルディナンド・アレクサンダー・ポルシェは、近親者によってツェル・アム・ゼーのシュットグートにある家族の墓に埋葬される予定です。後日、改めてシュトゥットガルトで葬儀が執り行われる予定です。

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